ワクチン接種を遅らせる形式的平等主義

こんばんは、彩乃六花です。

ワクチン接種体制の準備におくれて、あわてて「とにかくワクチンをはやく打て」と必死になって、東京や大阪にも集団接種会場を設置して、存在意義を示したい自衛隊を配備して接種を進めているわけですが……

会場が空いているらしいですね。

接種のリソースに余力があるのなら、接種対象年齢を下げてでも「大規模接種会場に来れば接種を受けられますよ」としたほうが早く接種が進むわけです。

実際に、感染率が高く全国のエピセンター(流行の中心)になってきた東京や大阪は、優先して重点的に接種を進めたほうが合理的で、感染リスクをより多く負っている人が優先されるのですから公平なのです。

ところが、日本の政治や、日本人の脳内は、形式的平等主義です。
全国一律に形式的に均等な扱いをしなければならない、均等な扱いを受けられないと不平不満が出て理解納得もさせられないのでしょう。

日教組じゃなくってそもそも、日本政府・自民党政治が形式的平等主義です。

単純に考えれば、大規模接種会場が空いてくることは想定可能だったはずです。いくらなんでも官僚もそこまで愚かではないと思いたいです。

動向をみていてももう、「全国どこの対象者でも東京にまで来れば接種を受けられますよ」とまで都知事が言っています。
実際にはわざわざ東京まで人を集めることが感染拡大リスクなのにもかかわらず、不合理で危険な方針をとっています。

要は、全国民一律の扱いをしないと気がすまないからなのでしょう。

こうした形式的平等主義なのは、日本人の脳内と教養レベルやエゴイズムの問題でもありますが、
こうした均等な扱いをしなければ、与党議員の体面を保てない、各地の与党員を納得させられないという、偽の「民主主義」の結果なのでしょう。

パラリンピック・オリンピックを、未だに観客集めて開催する気でいるようですが、
無観客であっても、代表選手団も各国要人も、ジャーナリストも、現地スタッフも、たくさん集まります。全国から観客を集めればなおさら、行動を管理・強制不可能でしょう。この行事の開催との関連で考えても、
かりに開催するならば、東京など開催地に優先してワクチン接種を進めるべきだと考えられます。

また、変異株の流行によって感染発症重症化の低年齢化が進んでいます。
行動範囲は中高年以下のほうが広い傾向がありますし、就労率も高く通勤が多いです。
そして、東京など都会が感染リスクが高い一方で社会機能が集中しています。
思い返してみれば、2011年震災のときには東京都心には計画停電がありませんでしたよね。社会機能や経済のために都心を優遇せざるをえないというのは、あのときと同じはずです。
さらにいえば、いまのパンデミックに関しては、東京がお金で原発の損失とリスクを押し付けて得してきたのと異なり、そもそも東京や大阪に居ること自体で危険が大きいです。都会に居ることの「役得」ではないのですよね。
東京や大阪など都会で流行させてウイルスを全国に拡散させて困っているのですから、都会で流行させずに封じ込めることが重要です。東京や大阪、名古屋、札幌、仙台、福岡、さらにいえば金沢、広島、高松、那覇などが中心になってくるわけですよね。こうした感染の中心に対して対策を優先させないと、全国規模の大きなうねりになってしまうわけですよ。

実際には東京や大阪に居るほうが危険なのに、形式的平等主義で、リスクの高い地域への接種を優先しないことで、かえって失敗しているわけです。

日本人には、公平の観念が欠けています。
形式的平等、数値での比較といった、定量的な理屈でばかり考えようとしています。
それが実際には自分が得するように仕向けるエゴイスティックなバイアス(偏見)であったとしても。